ブログカテゴリに「日記」が不要なわけ
2017年3月31日
私は時々生徒を泣かせてしまいます。泣いた生徒は一番下で6歳、上で45歳でしょうか。私の指導により、生徒は自分の内面を見つめてしまうのです。昨日のブログでは、要約すると「楽しかった」になってしまう残念なブログが多いことを書きました。そして、最後に「何を伝えるかを意識しながら体験をする」と良いとアドバイスしましたので、今日はそのお話を。
遠足でも運動会でもいいのですが、小学生に感想の作文を書かせると必ず最後の言葉が「楽しかったです。」です。
「楽しかったです。また来年もがんばりたいです」
「楽しかったです。また行きたいです」
判で押したようにこの言葉です。そう書くとなんとなく収まりが良いのですが、収まりが良いということは、特にひっかかることもないということ、人の心も通り過ぎてしまうということです。そして、何より恐ろしいのが、教師がそれを直さないことです。ですから、子どもはずっと同じパターンで書き続けます。それが大人になっても抜けていないのでしょうね。大人も同じことを書きます。
「今日は楽しかったです。また機会があれば参加したいです。」
「今日は充実していました。またこんな会に行きたいです。」
私の小学生向けコースでは、1年生の三学期からNGワードというものを出しています。作文中に使ってはいけない言葉です。いくつかあるのですが、その代表が「うれしかったです」です。さあ、大変です。あなたもちょっと考えてみてください。「うれしかったです」という言葉を使わずに「うれしかった」ことを書くのですよ。あんまりいじめても出来ないので、小学生にはヒントを出しています。
うれしかったことがあった時を思い出して、その時自分が何をしたのか何を言ったのかを「うれしくて○○した」という形で書きなさい。
こうアドバイスすると、「うれしくて『やったー!』って叫んだ」「うれしくてばんざいした」「うれしくてジャンプした」という返答があります。そう、それでいいのです。では、どうやったらそういう言葉を選べるようになのでしょうか。勘の良い人は気づいたと思います。そうですね、その時の様子を詳細に思い出してみるのです。では、さらに質問。詳細に思い出す為には何を仕込んでおいたら良いでしょう?
そうですね、そのことを体験している時に、自分の感情や行動がどうなっているかを観察することです。
小学生には親の協力も必要です。
例えば「楽しかった」という気持ちは、「お腹がいたくなるまで笑った」「あまりにわくわくしたので、気持ち悪くなるほどだった」「こんなに楽しいと、いつかばちがあたるのではと心配だった」などと、表現できますが、子どもは最初からそんな言い回しで表現できません。ですから大人が笑い過ぎた時に「お腹が痛い」と表現することで、子どもは自分も笑いすぎてお腹が痛くなっていることに気づき、病気の腹痛以外にもお腹が痛くなることがある、しかも楽しいことでお腹が痛くなることがあるということを体験します。言葉と実体験がぴったり重なると、その言葉はしっかり子どものものになります。「笑いすぎて吐かないのよ」も同じ意味で学習しますね。「えー?吐くこともあるんだ」なんて思うかも知れませんね。「楽しすぎてばちがあたる」というのは、子どもには説明が必要です。ある程度の年齢に達していないと分からない感覚でしょう。成長の頃合いを見計らって話せるのも親ですよね。
小学生の受講生には、何かを体験している最中に、できる限り自分の心を観察して書いてくださいと言っていますが、大人もこの方法で良いでしょう。文章のhow to以前に、whatを決めますね。その時、書きたい事柄について振り返りますが、自分が何をどのように感じたのかを書くのです。何があったかを書くのではなく、何をどのように感じたのかを書くのです。whatの中のhowですね。そうすれば、議事録のような、もっと言えば日記のようなブログにはならないのです。
ブログカテゴリに「日記」とある人は、要注意ですよ。カテゴリ名にはブログの方向性が垣間見えます。
ここでも有名人とアイドルは除外されます。彼らは日記にも価値があるのです。いつ起きて、どこに行って、何を食べて、誰と会って……そういうことに全て価値があるのです。私も大好きな女優さんが日々何をしているのか知りたいです。みなさんもそうでしょう? そう、有名人とアイドルはそういう日記ブログでいいんです。
私たちは違います。例えば私が何時に起きるのかは、みなさんどうでもいいですよね?(笑)
でももし、「私は『書く』ために毎朝5時半から『朝活』をしているんです」と知ったら読みたくなりますよね?そういうことです。
読まれる機会を与えられた記事が、一般人が起きたことがらをたんたんと書いているだけだとしたら、最後まで読み切らないと思います。それでも最後まで読んでもらう為には、言葉の工夫も必要ですが、コンテンツ自体が生きていないといけません。何かを体験した時のことをブログに書く時には、コンテンツを生かす為に、言葉通り生き生きとしていた方がいいですね。
ここで「何を伝えるかを意識しながら体験をする」と良いというアドバイスです。
昨日のブログに書いた例をもう一度。
あなたの伝えたいことはどれですか?
もし、あなたが東京じゅうのセミナー会場の入り口に置いてあるオブジェを調査研究している人だったら(笑)セミナーの内容ではなく、オブジェについて1記事書けばいいのです。
もし、あなたが、セミナー会場近くで、セミナーのあとにぴったりなお料理を調査研究している人だったら(笑)セミナーの内容ではなく、最寄り駅までの帰り道に寄れるレストラン情報を書けばいいのです。
それが、「何を伝えるかを意識しながら体験する」の極論です。
失礼、ほとんどの人が書くのが「セミナーの内容」についてですね(笑)その場合も、セミナーの何を伝えるかを、常に意識しながらセミナーを受けることが大切です。講師の言葉で刺さったものがあるのなら、「刺さった」と書かず、なぜそう感じたのか、自分の中の何についてズバリ言われたので刺さったと感じたのかを考察することが大切。そして「刺さった」という人は、弱いから刺さるはずなので、自分の心の弱さについてとことん考えて、しかもそれを言葉に直すことが重要な準備となります。これが、私の生徒が泣いてしまう段階です。
6歳の子は、オタマジャクシが迷子になる絵本の、母親が天敵につかまりそうになったシーンで、自分だったらどうするか考えてごらんと指導したら、想像して泣いてしまいました。お母さんがいなくなったらいやだーと泣いたそうです。ちょっぴり可愛そうなことをしましたが、この子の想像力、凄いと思いませんか? その作文は学校で賞を取りましたし、何よりこの子は毎年コンクール用に感想文を書き続け、賞を取り続けています。そして、毎週の作文もものすごく訴えるものを書くようになっていきました。将来が楽しみです。
自分が泣いてしまうような部分を書けば、かなりの確率で共感を得ることができるでしょう。少なくともそのセミナーに行った人、行きそびれたけれど行きたかった人、行こうと思っていた人に思いは届くはずです。セミナー中にそれを感じること、感じ取りながら言葉に直すこと。
感じるのは動物でもできますが、それを言葉に直すのは人間にしかできません。そして直した言葉を聞く度にその時の気持ちを振り返られるのも人間だけです。講演者の言葉をたっぷり引用するのではなく、自分の言葉をたっぷり書く。その為にはたっぷり自分を観察、考察することが重要なのです。
お問い合わせ
学校の先生!作文指導が悪いと大人になっても影響が!
遠足でも運動会でもいいのですが、小学生に感想の作文を書かせると必ず最後の言葉が「楽しかったです。」です。
「楽しかったです。また来年もがんばりたいです」
「楽しかったです。また行きたいです」
判で押したようにこの言葉です。そう書くとなんとなく収まりが良いのですが、収まりが良いということは、特にひっかかることもないということ、人の心も通り過ぎてしまうということです。そして、何より恐ろしいのが、教師がそれを直さないことです。ですから、子どもはずっと同じパターンで書き続けます。それが大人になっても抜けていないのでしょうね。大人も同じことを書きます。
「今日は楽しかったです。また機会があれば参加したいです。」
「今日は充実していました。またこんな会に行きたいです。」
「うれしかった」はNGワード
私の小学生向けコースでは、1年生の三学期からNGワードというものを出しています。作文中に使ってはいけない言葉です。いくつかあるのですが、その代表が「うれしかったです」です。さあ、大変です。あなたもちょっと考えてみてください。「うれしかったです」という言葉を使わずに「うれしかった」ことを書くのですよ。あんまりいじめても出来ないので、小学生にはヒントを出しています。
うれしかったことがあった時を思い出して、その時自分が何をしたのか何を言ったのかを「うれしくて○○した」という形で書きなさい。
こうアドバイスすると、「うれしくて『やったー!』って叫んだ」「うれしくてばんざいした」「うれしくてジャンプした」という返答があります。そう、それでいいのです。では、どうやったらそういう言葉を選べるようになのでしょうか。勘の良い人は気づいたと思います。そうですね、その時の様子を詳細に思い出してみるのです。では、さらに質問。詳細に思い出す為には何を仕込んでおいたら良いでしょう?
そうですね、そのことを体験している時に、自分の感情や行動がどうなっているかを観察することです。
小学生には親の協力も必要です。
例えば「楽しかった」という気持ちは、「お腹がいたくなるまで笑った」「あまりにわくわくしたので、気持ち悪くなるほどだった」「こんなに楽しいと、いつかばちがあたるのではと心配だった」などと、表現できますが、子どもは最初からそんな言い回しで表現できません。ですから大人が笑い過ぎた時に「お腹が痛い」と表現することで、子どもは自分も笑いすぎてお腹が痛くなっていることに気づき、病気の腹痛以外にもお腹が痛くなることがある、しかも楽しいことでお腹が痛くなることがあるということを体験します。言葉と実体験がぴったり重なると、その言葉はしっかり子どものものになります。「笑いすぎて吐かないのよ」も同じ意味で学習しますね。「えー?吐くこともあるんだ」なんて思うかも知れませんね。「楽しすぎてばちがあたる」というのは、子どもには説明が必要です。ある程度の年齢に達していないと分からない感覚でしょう。成長の頃合いを見計らって話せるのも親ですよね。
一般人のブログカテゴリに「日記」はいらない
小学生の受講生には、何かを体験している最中に、できる限り自分の心を観察して書いてくださいと言っていますが、大人もこの方法で良いでしょう。文章のhow to以前に、whatを決めますね。その時、書きたい事柄について振り返りますが、自分が何をどのように感じたのかを書くのです。何があったかを書くのではなく、何をどのように感じたのかを書くのです。whatの中のhowですね。そうすれば、議事録のような、もっと言えば日記のようなブログにはならないのです。
ブログカテゴリに「日記」とある人は、要注意ですよ。カテゴリ名にはブログの方向性が垣間見えます。
ここでも有名人とアイドルは除外されます。彼らは日記にも価値があるのです。いつ起きて、どこに行って、何を食べて、誰と会って……そういうことに全て価値があるのです。私も大好きな女優さんが日々何をしているのか知りたいです。みなさんもそうでしょう? そう、有名人とアイドルはそういう日記ブログでいいんです。
私たちは違います。例えば私が何時に起きるのかは、みなさんどうでもいいですよね?(笑)
でももし、「私は『書く』ために毎朝5時半から『朝活』をしているんです」と知ったら読みたくなりますよね?そういうことです。
体験するときに、何を伝えるかを意識する
読まれる機会を与えられた記事が、一般人が起きたことがらをたんたんと書いているだけだとしたら、最後まで読み切らないと思います。それでも最後まで読んでもらう為には、言葉の工夫も必要ですが、コンテンツ自体が生きていないといけません。何かを体験した時のことをブログに書く時には、コンテンツを生かす為に、言葉通り生き生きとしていた方がいいですね。
ここで「何を伝えるかを意識しながら体験をする」と良いというアドバイスです。
昨日のブログに書いた例をもう一度。
例
今日は○○のセミナーに行ってきました!楽しかったのでシェアします!
場所はココ!
入り口にはこんなオブジェがお出迎え♪
会場はこんな感じ。テンション上がる~♪
さあ、セミナー開始です。ドキドキ
講演者の言葉をたっぷり引用(ライセンス注意)
勉強したらお腹が空いたので、駅近くのこんなお店へ
あなたの伝えたいことはどれですか?
もし、あなたが東京じゅうのセミナー会場の入り口に置いてあるオブジェを調査研究している人だったら(笑)セミナーの内容ではなく、オブジェについて1記事書けばいいのです。
もし、あなたが、セミナー会場近くで、セミナーのあとにぴったりなお料理を調査研究している人だったら(笑)セミナーの内容ではなく、最寄り駅までの帰り道に寄れるレストラン情報を書けばいいのです。
それが、「何を伝えるかを意識しながら体験する」の極論です。
私の生徒が泣くワケ
失礼、ほとんどの人が書くのが「セミナーの内容」についてですね(笑)その場合も、セミナーの何を伝えるかを、常に意識しながらセミナーを受けることが大切です。講師の言葉で刺さったものがあるのなら、「刺さった」と書かず、なぜそう感じたのか、自分の中の何についてズバリ言われたので刺さったと感じたのかを考察することが大切。そして「刺さった」という人は、弱いから刺さるはずなので、自分の心の弱さについてとことん考えて、しかもそれを言葉に直すことが重要な準備となります。これが、私の生徒が泣いてしまう段階です。
6歳の子は、オタマジャクシが迷子になる絵本の、母親が天敵につかまりそうになったシーンで、自分だったらどうするか考えてごらんと指導したら、想像して泣いてしまいました。お母さんがいなくなったらいやだーと泣いたそうです。ちょっぴり可愛そうなことをしましたが、この子の想像力、凄いと思いませんか? その作文は学校で賞を取りましたし、何よりこの子は毎年コンクール用に感想文を書き続け、賞を取り続けています。そして、毎週の作文もものすごく訴えるものを書くようになっていきました。将来が楽しみです。
自分が泣いてしまうような部分を書けば、かなりの確率で共感を得ることができるでしょう。少なくともそのセミナーに行った人、行きそびれたけれど行きたかった人、行こうと思っていた人に思いは届くはずです。セミナー中にそれを感じること、感じ取りながら言葉に直すこと。
感じるのは動物でもできますが、それを言葉に直すのは人間にしかできません。そして直した言葉を聞く度にその時の気持ちを振り返られるのも人間だけです。講演者の言葉をたっぷり引用するのではなく、自分の言葉をたっぷり書く。その為にはたっぷり自分を観察、考察することが重要なのです。