文章の誤解の責任は、100%書き手にある
2017年8月21日
昨日Facebookでシェアした記事の反響が大きく、まるで私の記事が炎上しているかのような焦りを感じています。
https://goo.gl/eET8yb
問題の記事はこちら。
稲垣えみ子「『図書館で借りて読みました!』、私の本を読んでいただいたのはありがたいのだが……」
https://goo.gl/6FYL9S
Facebookはもちろん、Twitterなどでも炎上。さて、彼女が、またはAERAがどう出るか。
文章から生じる誤解には、書く時に生じるものと、受け取る時に生じるもの2つがあります。さらに「書き物の誤解の責任は、100%書き手にある」としています。もちろん、世の中には「どうしたらそういう解釈になるの?」と言うくらいねじ曲げて誤解する人もいますが、発端、火種は、書き手が書いたものにあるのです。
稲垣さんが本気で「図書館で本を借りるなんて、ひどい」と考えているなら、炎上しようが何しようが、受けて立つでしょう。それぐらいとんがっているのは、かっこいいですよね。
ちなみに私は「日本の教育レベルが高いのは、図書館の存在が大きいから」という持論と、まさに彼女が使用した「因果応報」の言葉から彼女が報いを受けるだろうという論理で一記事書ける自信があります。にしても、まだ彼女の本心が見えません。
「自分のお金の使い方を考えねば」と切り出す稲垣さん。そう、本を配達してくれる人の例にあるとおり、自分のお金の使い方には「敬意」がなかったと言っています。だからこんな目に遭うのだという話。しかし私は「図書館で本を借りる人」のことを「あなたが懸命に作ったものを当然のようにタダで持っていく人」と表現すること自体、この人大丈夫かしら?と思ってしまうのです。影響力の大きい人だけに心配です。
少なくとも、言い訳しだいになるけれど、あとから説明が、いやむしろこの状態だとお詫びが必要になる文を書くのは大変な損失。この事件は誌面上で起きているのです。
だからといって、100%完璧な文章なんて誰も書けないので、そこまで自信を持ってから世に出すのかと構えなくても大丈夫です。しかも素人のブログや、Facebookへのコメントではそんなに責められませんから安心していいと思います。もちろん私が仕事として書く場合には、「言ったとか言わないとか」「こんな話があるとかないとか」なんて書けません。出典をきちんと表示します。
事実と感想を分けることについては、小学生相手でも指導しています。そう、事実は誤解のしようがない。誤解されるのはほとんど「感想」の方です。まず自分に正直になること。自分に正直になりさえすれば、誤解が少なくなります。その状態で反対意見が出されてもそれに粛々と対応すれば良いのです。それこそ議論から新しい何かが生まれることだってあります。その為には、まず事実と感想をしっかり分けること。両方をきちんと書くことが大切。
特に、高学年になると資料が複雑化するので、時事問題に関する意見文等を書かせると、ほとんどが事実の要約で終わってしまいます。
読書感想文も然り。本のあらすじが、蕩蕩と語られ、最後の最後にとってつけたように「私も○○(主人公)みたいになりたいです」
遠足や運動会の作文も然り。その日の様子が朝から語られ、最後の最後にとってつけたように「来年も行きたいです」「来年もがんばりたいです」
そういう作文を書かない為に、まずは、事実+感想をセットで1段落にするということを心がけさせます。これは下書き段階で整理させます。いざ清書し、さすがにその繰り返しが何段落も続くと、気持ちの悪い文章になるので足したり削ったり、入れ替えたり、つまり、添削をするのですが、まずは下書きの段階でそのセットで考えさせることを特訓しています。大人の文章指導も同じです。
さて、担当者の方が図書館で借りた著書を持っていたのが事実。それに対し「自分は損をした」と言うのが稲垣さんの主観。さてあなたの感想は?
この考察だけでも、相当文章力が鍛えられますね。
普段から、何か違和感を感じた時に、それがなぜなのか、何が違和感を感じさせるのか「言葉に直す」トレーニングは効果大です。言語は思考ツールです。言葉を使って考え抜くこと、それを書き出すことで、思考そのものが深まるのです。深い思考から編み出された言葉は誤解されにくいものなのです。
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問題の記事はこちら。
稲垣えみ子「『図書館で借りて読みました!』、私の本を読んでいただいたのはありがたいのだが……」
https://goo.gl/6FYL9S
私の要約
稲垣さんは、ある行政機関に呼ばれ、大勢の方の前でお話をする機会に恵まれた。
現地へ行き、担当の方と顔を合わせたら、付箋の沢山ついた著書を持っていたとのこと。ただ、それは、図書館で借りた本だったそう。
それに対し「思いもよらぬほど動揺」「顔を殴られたような感じ」と表現。
「仕事には相応の苦労が伴います。そして、それに敬意を表してお金を払ってくれる人がいて初めてその人は仕事を続けることができる。あなたが懸命に作ったものを当然のようにタダで持っていく人がいたらどう思いますか。」と展開。
「私とてマッタク偉そうなことは言えません」と言って、話がどう落ち着くのか?と見守れば、
「得をした自分の反対側には確実に損をしている人がいる。そして気づけば自分がいつの間にかその損をする側に回っていた。」
という結論。
Facebookはもちろん、Twitterなどでも炎上。さて、彼女が、またはAERAがどう出るか。
文章の誤解には2種類ある
文章から生じる誤解には、書く時に生じるものと、受け取る時に生じるもの2つがあります。さらに「書き物の誤解の責任は、100%書き手にある」としています。もちろん、世の中には「どうしたらそういう解釈になるの?」と言うくらいねじ曲げて誤解する人もいますが、発端、火種は、書き手が書いたものにあるのです。
稲垣さんが本気で「図書館で本を借りるなんて、ひどい」と考えているなら、炎上しようが何しようが、受けて立つでしょう。それぐらいとんがっているのは、かっこいいですよね。
ちなみに私は「日本の教育レベルが高いのは、図書館の存在が大きいから」という持論と、まさに彼女が使用した「因果応報」の言葉から彼女が報いを受けるだろうという論理で一記事書ける自信があります。にしても、まだ彼女の本心が見えません。
「自分のお金の使い方を考えねば」と切り出す稲垣さん。そう、本を配達してくれる人の例にあるとおり、自分のお金の使い方には「敬意」がなかったと言っています。だからこんな目に遭うのだという話。しかし私は「図書館で本を借りる人」のことを「あなたが懸命に作ったものを当然のようにタダで持っていく人」と表現すること自体、この人大丈夫かしら?と思ってしまうのです。影響力の大きい人だけに心配です。
少なくとも、言い訳しだいになるけれど、あとから説明が、いやむしろこの状態だとお詫びが必要になる文を書くのは大変な損失。この事件は誌面上で起きているのです。
誤解が怖いなら小さなところから始める
だからといって、100%完璧な文章なんて誰も書けないので、そこまで自信を持ってから世に出すのかと構えなくても大丈夫です。しかも素人のブログや、Facebookへのコメントではそんなに責められませんから安心していいと思います。もちろん私が仕事として書く場合には、「言ったとか言わないとか」「こんな話があるとかないとか」なんて書けません。出典をきちんと表示します。
小学生にはどのように指導しているか
事実と感想を分けることについては、小学生相手でも指導しています。そう、事実は誤解のしようがない。誤解されるのはほとんど「感想」の方です。まず自分に正直になること。自分に正直になりさえすれば、誤解が少なくなります。その状態で反対意見が出されてもそれに粛々と対応すれば良いのです。それこそ議論から新しい何かが生まれることだってあります。その為には、まず事実と感想をしっかり分けること。両方をきちんと書くことが大切。
特に、高学年になると資料が複雑化するので、時事問題に関する意見文等を書かせると、ほとんどが事実の要約で終わってしまいます。
読書感想文も然り。本のあらすじが、蕩蕩と語られ、最後の最後にとってつけたように「私も○○(主人公)みたいになりたいです」
遠足や運動会の作文も然り。その日の様子が朝から語られ、最後の最後にとってつけたように「来年も行きたいです」「来年もがんばりたいです」
そういう作文を書かない為に、まずは、事実+感想をセットで1段落にするということを心がけさせます。これは下書き段階で整理させます。いざ清書し、さすがにその繰り返しが何段落も続くと、気持ちの悪い文章になるので足したり削ったり、入れ替えたり、つまり、添削をするのですが、まずは下書きの段階でそのセットで考えさせることを特訓しています。大人の文章指導も同じです。
さて、担当者の方が図書館で借りた著書を持っていたのが事実。それに対し「自分は損をした」と言うのが稲垣さんの主観。さてあなたの感想は?
この考察だけでも、相当文章力が鍛えられますね。
普段から、何か違和感を感じた時に、それがなぜなのか、何が違和感を感じさせるのか「言葉に直す」トレーニングは効果大です。言語は思考ツールです。言葉を使って考え抜くこと、それを書き出すことで、思考そのものが深まるのです。深い思考から編み出された言葉は誤解されにくいものなのです。