文章力養成コーチ ゆか先生の「書きまくるトレーニング」 徒然なるまま かきまくれっ!

国語について、そして書くことについて、つづっています。

ユーモアは悪夢から人を救えるか

2017年12月16日
叩かれたからといって、へこんでしまうことはないわ。あれだけ叩いて卵を泡立ててもケーキはふくらむもの。
メアリ・ジョンストン(1870~1936)

遊ぶ余裕がないのは、遊ばないからだという発想を学んだ。
遊ばないから余裕がどういうものかわからず、余裕がなくなり、余裕がないから、遊ばなくなる。
では、遊ぼうではないか。

無理ですって(笑)
本当に悪循環の渦中にいる人には無理。
そういう人にはまず周りの人の助けが必要だと思う。

ちょっとしたことなら、自分の陥ってしまったトラブルに対し、ユーモアで気分を良くすることもできる。
先日も、ちょっと困った連絡で目が覚め、毎年の喘息発作も始まり、かなり憂鬱な気分で目が覚めた。
しかし、親しい友人グループの、前向きで優しい朝の挨拶で、心にゆとりができ(←ここ)自分の苦境を自分で「ばっかみたい」と皮肉ることができた。
すると不思議。そのことがきっかけで、状況はまったく変わっていないのに、気持ちがとても軽くなって、解決しようと立ち向かうパワー、いや、誠意を示してなんとかこの困った連絡をよこした人と「うまくやりたい」とさえ思うエネルギーまで沸いてきた。

自分の状況を楽観的に見たり、または良い方に改善しようと試みたりできたのは、わずかだけど心のゆとりがあったから。もちろん、どんな時にでも心にゆとりが持てるような思考回路を身につけた方が人生楽。でも、本当に負の思考回路の悪循環のまっただ中にいる人を救えるきっかけは「ユーモア」ではないと思う。
それは、友情や愛だ。

ただし、「 余裕を持つために遊ぼう」という投げかけを、心が健全な時に聞いて、心にとめておくのはかなり有効。
いざという時に思い出せるから。
さらに、いざという時に思い出しやすくするために、心にゆとりのある時を利用してこの「遊びの余裕」を創るレッスンをしておくことが大切なように思う。

ただし悪夢の泥沼から、ユーモアの太陽が見える場所に引っ張り上げるのは、ユーモアではなく友情や愛だ。

 

photo from Pixabay

 

 
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